葛藤が起こっていた理由と行動に移せなかった理由
せっかく退職したのに、何だか楽しくなくて
今みたいに自由な時間がある時にしか出来ないことやろうと思うんだけど
それすらやる気にならない。。
と言うより、来月以降の収入が決まってなくてお金を使えない。
だったら不安要素を取り除く為に転職活動をすればいい話なんだけど、
それもやる気にならない。
働きたい気持ちもあるけど、時間を自由に使える生活がしたい。
って葛藤をずっとモヤモヤ抱えていて、とりあえず打開策を教えてもらいにいった。
(自分で葛藤のワークをしても、毎日楽しみたいまでしか出てこなくて限界だった・・・)
モヤモヤのテーマは、「方向性は決まってるのに行動に移せない」
結論から言うと、悩んでいた理由は<目標に具体性がなかった>から。
働き方ばかりに焦点を当てていて、「これをやる!」ってのが漠然としていた。
つまり商品もないのに、売れたらこんな生活をしてーって妄想してただけ。
んーでも、逆に働き方が明確にあればそれを叶える手段なんていくらでも試せばいい話な気もするんだけど。。
とにかくまぁ、今回私が行動できなかった理由は最終ゴールである”自分でビジネスをする”に対して、コンテンツが漠然としていたから。
で、仕事の内容なんて自分が楽しいと思えれば何でも良くてってのが正直な気持ちだったんだけど、じゃあ実際楽しいと思うことって何だろう?って挙げていったら、、
そこで、私が本当にやりたい事が見つかった!!
自分の中から出てきた答えだったし、
直感的に「あ、これだな」って感じた。
でもやっぱり私の一番の興味の対象は、何故その葛藤が起こっていて何で行動に移せないかなんだけど、、
動けなかった理由は、目標に具体性がなかったから。
じゃあ葛藤が起こっていた理由は?
これに気づくためとかよく言うけど、どういうこと?
まず体験コンサルで言われた。去年の11月に。
私のやりたい事は今まで学んだことを体系化することだと。
導いた過程が分からなかったから、ふーんじゃあやってみよ。だけだった。
そこから学んだことを纏めてみたりしたけど、イマイチ楽しくない。
今なら分かるけど、自分が何故それをやりたいのか、伝えたいメッセージなど
色んなことが不明瞭だったからだ。
そして2017年の3月に私がやりたい事って言語化すると何かを聞いたら
オリジナルメソッドを作ろうとしてる。それは哲学的なことと言われた。
あ、そうなのね、ちゃんとした学問なのね。と納得した。
この時はそれが私の本当にやりたい事であって最終ゴールになるとは気付かなかった。
で、今回動けないという悩みが起きて、
自分の本質を見つけるオリジナルメソッドを創りたい!
誰がやっても本質的な答えを導き出せるように体系化したい!
という明確なゴールが見つかった。
葛藤が起こっていたのはこの為??
もうこれ原因論か、これ以上いいか、目的論でいいか。
うーん、やりたい事が明確になる為に、葛藤が起こっていた。
で、留めておくか。
<結論>
葛藤が起こっていたのは、これだ!って目標を見つけるため。
行動できなかったのは、目標に具体性がなかったため。
メモ)ゴールが明確になるまでの考え方
■理想形を書き出す
・夢中になれる仕事
・心地の良い居住環境
・パートナーシップ
■優先順位を決める
1.仕事
2.家
3.パートナー
■優先順位の高いものから行動に移す(今回は仕事について)
・理想(最終ゴール)は?(どんな仕事か?どんな働き方か?)
→本田健。生き様で人に影響を与えるような仕事。
・生き様で人に影響を与えるとは、つまり何をしてる人?
※この、「何をしてるか」が具体的になってないと行動に移せない
→講演会や執筆活動をしてる人。
・伝えたいメッセージは?
→自分の本質を生きようよ。
・じゃあ、最終ゴールに行くまでのステップは何段階かある?
→やることリストをブレーンストーミングで書き出す
・と言うか、楽しいと思える仕事ならやる事は何でもいい
・じゃあ楽しいと思えることは何?
→育成、スピーカー、人材紹介、自己分析how to本
・本を書くと言うより、自分の本質を見つける方法を体系化したい
→あれ?これすごいエネルギーが乗ってることに気づく
・自己分析のオリジナルメソッドをつくりたい!
→これが本当にやりたい事で、その他はそれをやる上でのライフスタイルになるイメージ
■最終ゴールまでのステップを作る
・商品化する
・モニターで実績をつくって完成させる
私の場合はまず商品化することから始める。
金銭的な安心感を得る為と、商品に有効になるようなエッセンスをもらう為
この2つを目的として、転職活動をすることが今のやるべきこと。
今まで、商品がなく働き方だけをゴールにしてたから、どう動いていいかわからなかった。
商品が明確になったら、じゃあ後はプロセスを考えればいい。
■上手くいかないゴール設定の例
実際に働いてる人と話した時にピンとこなかった。
HP見たときの直感は外れた?
この人と結婚したい、この会社で働きたいとは上手くいかないゴール設定。
つまり、そこで何をしたいかという大目的をゴールにしないと。
結婚も会社も手段でしかない。
直感が働いていても、そこで何を学ぶかという目的をきちんと明確にしたほうがいい。
大目的があって、だからこの会社を選んでますという<主体性>が大切。
意識と在り方
「他人と比べて卑屈になったりしないよね」
って最近身近な人に言われて驚いた。
昔はずっとそうやって生きてきたのに。
そんな自分が大嫌いで悩んでたのに。
いつからだろう?とふと考えた時に、思い出した。
あるとき知っちゃったんだよね。
容姿にしても仕事にしても、人が羨むような実績のある人たちって
それ相応の努力をしていることに。
自分の嫌いな所と向き合おうともせず、
「私なんて、、」ってただ悩んでるだけの自分が心底ダサいと思った。
努力もせずに「あの人はいいよね」って卑屈になってる自分が恥ずかしくなった。
それから、悩む暇があるなら少しでも良くなるように努力しようって
決めたなーと思い出した。
そしたらいつの間にか、周りから見ても変わってたみたい。
もちろん今でも自分が凄いなと思う人と比べて落ち込むことはある。
でも、それで落ち込んで終わりにはしない。時間の無駄。
別にその人になれたからって私が幸せになれるわけじゃないし、
だったら私の在りたい姿ってなんだっけって再確認して、そこに少しでも近づける努力をすればいいだけの話。
そしてこれから付き合いたい人たちもそれが普通に出来るひとたち。
断捨離とは、物を捨てる行為ではなく、今の自分の価値観を明確にするツールだ。
断捨離について書こうと思う。
しょうもない感想だけど、本当に感動した。
世の中にこの素晴らしさがもっと伝わればいいのに。
自分の人生に向き合ってる人なんかには特におすすめしたい。
と言うより絶対にやるべきだと思う。
最後に纏めも書いたので、そこだけでも読んでいただきたいー。
以前の記事でも少し触れたけど、とあるセミナーで断捨離のサービスを提供している方に出会って、
その方の考え方、人柄、想いに惹かれて絶対にこの人にお願いしたい。出来れば退職のタイミングで。と思っていたのが実現した。
正直に言うと、断捨離なんて自分一人でも出来ることだし、
そもそも定期的にやっていたから物は少ない方だし、
部屋が綺麗になればいいなーって程度の想いしかなかった。
それよりも、直感でその方の想いに直接触れたいなという気持ちが強かった。
だから断捨離にこだわりは無かったし、その方が別のサービスを提供していたらそっちを受けていたと思う。
結論から言うと、私は物と一緒に古い価値観まで手放すことが出来た。
何がそんなに感動したのかというと、自分一人では今回手放したその価値観が既に過去のものだったという事実に気が付けなかったということだ。
私の想いが特に強く反映されていたのが洋服で、
もう何年も着ていないのに、ずっと取っておいたドレスがあった。
自分で断捨離をする時には迷いも無く一番に”必要なもの”に分類されていた。
手放そうなんて考えたことも無かった。
それは、着ると「すごく可愛い私」になれる。
でも今の私にとっては少し可愛すぎるデザインになっていた。
だから選びはしないものの、クローゼットの中には必要なものだと思い込んでいた。
それを見るたびに「すごく可愛い私」を思い出させてくれるから。
私がずっと握りしめていたのは、そのドレスではなく「すごく可愛い私」だったのだ。
≪このドレスを手放してしまったら、可愛い私がいなくなってしまう≫
という恐れが、無意識に”必要なもの”という思い込みになっていたんだ。
これに気付かされた時は、勝手に涙が出た。
可愛い私でいる必要があったし、そこに価値を見出していた過去を突きつけられた。
それを理解しても手放すことに躊躇していた時にかけてもらった言葉。
私にとって「すごく可愛い」というのは大切な価値観で、これからも大切にするべきだということ。
ただ、今の私に見合った「すごく可愛い」を新しく探せばいいのだということ。
すごく救われたし、とても説得力のある言葉だった。
今まで可愛いと思っていた洋服たちが、今の私の気分ではないことに前から気付いていて、だからこそ腑に落ちた。
これらを手放せば、新しい「すごく可愛い私」にしてくれる洋服が見つかると教えてくれた。
これを決断できたら後は早かった。
”私を可愛くしてくれたもの” = ”今の私には不要なもの”
という選択の基準が明確になったからだ。
ちなみに、過去の可愛い私と一緒に捨てようと決めたものがある。
それは周りの人や環境のせいにして責任逃れしてる自分。
自分以外のせいにして、何かしら不満を創り出して悩んでいる方が、
自分で決めた道を生きるよりもよっぽど楽だと気付いていたから。
もう、可愛いだけの私も、悩むだけの人生もいらない。
洋服ともう一つ、ずっと手放せなかったものがあった。
それはノート。
本気で人生を変えたいと思い始めた3年前から書き溜めていたノートを何冊も大切に取っていた。
当時の悩み、それを解決しようと学んだこと、どう乗り越えたか。といったことを事細かに記録してきた。
何故なら自分がどう変化してきたかを忘れたくなかったから。
もし忘れてしまったら、同じ立場の人が目の前に現れた時に気持ちを理解してあげられなくなってしまう、それはいけないことだと思い込んでいたのだ。
こんな事をツラツラと話している時にされた質問が、
「これから付き合いたいのはどんな人か」
この一言で、全てのノートを捨てようと決意した。
私は、目標に向かって楽しく努力してる人や、自分で人生を切り拓いていく勇気ある人たちと一緒にいたい。これは揺るがない。
事実、過去の私のように悩みたいだけで現状を変えようとしない人たちといると、すごく疲れる。エネルギーが吸い取られるような感覚があって、体力が消耗される。
私がわざわざ疲れてまで付き合わなくても、それが心からの喜びだと言える人たちにお任せすることにしよう。
という訳で、まとめると
断捨離とは、単純に不要なものを捨てる行為ではない。
持ち物と向き合うことで自分の価値観が明確になり
今の自分に必要なものだけを見極めることが出来る。
その価値観が既に過去のものである事に気付けることが一番の収穫なんじゃないかと思う。
感情も含めて過去に大切だったものを、いつまでも持っている必要なんてない。
価値観なんて変わるのだ。
今の自分にとって何が大切か、ということが一番大事なんだ。
退職して思うこと。
4月末で退職した。
次は決まってない。
金銭的には5月に振り込まれる給料がなければ6月の生活がかなり厳しい。
まぁそれは一旦置いておいて。
退職の理由は、関わりたい仕事や付き合いたい人たちが自分の中で明確になってきて
今の環境とは違うと思ったから。
タイミングは居心地が良くなったから。
あくまで私の考えだけど、環境のせいにしたくなったり感情が振り回されるような事があるうちは、まだ自分の中で卒業するタイミングではないと決めていた。
自分と向き合う課題がまだ残ってるって合図かなあと思ったりして。
でもそれがここ数ヶ月完全になくなって、もう一生ここに身を置いてもいいんじゃないかって思うくらいただの居心地の良い空間になっていたから、そろそろ抜け出すタイミングだなと感じた。
コンフォートゾーンにずっといてもそれ以上の成長は見込めないし。
退職してからまずしたかった事は、断捨離と、とことん自分の内を見つめること。
断捨離は想像以上の衝撃があってこれはまた別の記事にしたい。
そんでやっぱりキツイのが、自分の内を見つめること。
だって次の収入の目処がなく不安定な状態だから、やっぱり焦りが出てしまう。
もういっそのこと、さっさと次の仕事を決めてしまおうか。
でもそれは逃げなんじゃないか。。って葛藤の中に今ずっといる。
その事で自分のパターンで分かった事が一つあって、
外側(周りの目とか世間体とか)に矢印が向きすぎると自分が置いてけぼりになって
心が穏やかじゃなくなる。
そして決まって大切な人を失う。
いっぱいいっぱいになって、シャットアウトしちゃう。
これはもう、バランスを取って上手くやってくしか対処法はないんだろうなぁ。
不要なものを手放して、出来る限りwant toでの生活をして、
自分の内に矢印を向けて今思うこと。
やっぱり働きたい。
目標に向かって楽しく努力できる、向上心がある、自分らしく輝ける、
そんな仲間たちと一緒に働きたい。
でも、自由も欲しい。
決められたルールだからといって、意味もなく会社にいなければならなかったり、好きな時に好きなことが出来ない環境じゃ嫌だー。
天気のいい日はのんびり散歩したいもん。
これが叶うのって、どんな働き方なんだろう?
視野を広げなければ、今までの選択肢から選ぼうとしてたら結局延長線止まりだよな。。
ゴールは割と明確にあるし、イメージも毎晩してるんだけど、
どうやって近づければいいか具体的な方法が分からない。うぬ。
やっぱりリアルタイムの想いの方が伝わる
私は興味のあるものがコロコロ変わる。
4月中旬には「自分らしく生きるとは何か」ということに夢中だったのに、
ある程度まとまったからなのか、完全に熱は冷めて
今は「直感と心の声の違い」についてずっと考えてる。
それでブログにも頭で考えている事をできる限りリアルタイムに書きたいと意識はしているのだけど、もう少し纏まってから書こうと後回しにすると、もう次に書こうと思った時には興味の先が変わってるっなんてことがしょっちゅう。
そもそも記録用に始めたブログなのに。
だからもう纏まってなくても、前回の記事と繋がりがなくても、
とりあえず書こう。
話は戻るけど、直感と心の声の違いについて。
直感は言うことを聞く。
心の声は言うことを絶対に聞く必要はない。
見分け方としては、これらしい。
直感はインスピレーションのように感覚的に降りてくるもの。
いわゆる未来の自分からのメッセージ的なものらしい。
一方で心の声とは、、思考抜きで湧いてきた想いかな?
コーチングの時に習ったwant toに近いのかな。
でも、何かやろうとする時にザワザワすると言うか、無視できるような小さなものだけど違和感を感じる時は、それが心の声だってハッキリ分かる。
でも、そっちで合ってるよーみたいな肯定的な声はいまいち分からないのが現状なんだよなあ。
これに関連して、最近やろうと意識してるのは
頭に浮かんだもの、考えたこと常にリアルタイムで観察しようと思う。
思考の声と心の声は比較的区別できるようになってきたから、
心の声をずっと聞いてあげるの。
目的は、want toを増やすため。
さてと。
自問哲学
気付いたら自分が”やりたい事がある人”になっていて驚いた。
小学生の頃から将来の夢がなかったし、
大人になってもやりたい事がないことが悩みで、
どうしたら見つかるんだろう?ってずっと探してた。
そしたらいつの間にか、それがやりたい事になってた。
好きなことを仕事にしている人たちに会いに行って、何故それを始めたのか、どうやってそれに出会ったのかって聞くのが癖になってた。
問いをもって
自分なりの答えを出している先人たちの考え方を吸収し、
さらにそこから自分に当てはめた場合にどうなるか、私なりの答えを導き出す。
これが、私がずっとやってきた事で
夢中になってやっている事だと
最近になって気付いた。
この、
問題意識
↓
先行研究+私のエッセンス
↓
私なりの答え
という思考の流れを哲学というらしい。
私は主に問題を自分の中へ問いかけることが多いから、
《自問哲学》という名前を付けてもらった^^
そう、人に自分のやっている事を説明できなかったのだ。
これからは、この名前で伝えていこう。