メモ)本質と使命と能力の話

 

人生のビジョンが先か

手段が先か

 

もっと言うと、人生のビジョンが見つかれば手段は何でもOKなのか。

手段を見つけてしまえば人生のビジョンなんていらないのか

 

 

どっちが良い?って考えてたんだけど

分かった、同じだった。

 

人生のビジョンを使命と言い換えたら分かりやすいかもしれない。

 

 

 

使命を全うできるなら手段は限定しなくても幸せだし、

 

逆に後者のように手段が限定されていた場合でも、その手段を使った先に出来上がるものは、一見手段が限定されていないように感じるものなのかもしれない。

 

 

 

例えば、

 

「皆が毎日笑顔で暮らせる世界を創ること」が人生のビジョンだとした場合、

 

 

自らエンターテイナーになる手段もあるし、

テーマパークみたいに皆が楽しめる場を作る手段もあるし、

はたまた教育の世界に入って、笑顔になれる方法みたいな授業を作っちゃってもいいし、

 

 

こんな風に手段はどれを選択しても、人生のビジョンに繋がってるわけ。

 

 

 

 

一方で、

「自分は絵で生きていく」って先に手段を見つけてしまった場所、

 

 

自分で絵を描いてその絵を提供することで人を喜ばせたりも出来るし、

絵を教えることで絵を描く喜びを知る人を増やしてもいいし、

絵を使った、なんか斬新なプロジェクトを創ってもいいよね。(あ、そう正にプロジェクションマッピングとか)

 

 

 

だから人生のビジョンを見つけるのでもいいし、職人のようにこれだ!って思えるもの(手段)を探すのも、たぶん同じこと。

 

でもやっぱりどちらにも共通して根本にあるのは本質だよね。

 

だからその本質を知って、それに沿った生き方をすれば、人生のビジョンも手段も必死になって見つけようとしなくても幸せだよって話。

 

 

 

まあでも、ゴールを設定(人生のビジョン)した方が行動しやすいし、ツール(手段)があった方が人には伝わりやすいし(つまり集客しやすい)、結局は全部分かってたら楽なんだよなーー。

 

 

自分の本質があって、それに沿った結果出来上がる世界が人生のビジョンで、それを叶えるために途中で使う道具が分かってて、(手段でもスキルでもいいけど)

 

 

これらが一本の道で繋がってたら、すごい分かりやすくない?後はもう楽しむだけじゃん!私みたいにこんな面倒な考え方する人なんて多くないと思うし、そしたら皆その答えだけ知ってあとは楽しい世界を作ればいい話じゃん。

それを見つけるのが人生なんだよ、と言う人もいるかもしれないけど、見つかった後に実際にその世界で生きられる方が絶対に楽しいと思う。

答えが見つかったって結局人は悩むんだし、だったら先にその世界いった方がいいと私は思う。

 

それに、見つけるのが人生だと言ってるから今の世界がこうなってるんだよ。

毎日憂鬱な顔して通勤して、ため息つきながら仕事して、帰って疲れたって家族との時間もろくに取らずに。(極端な例だけど)

 

そんな背中を見て育った子供と、

すでに自分の世界を生きてる背中を見て育った子供は、

 

世界に対してや、働くことに対しての考え方に圧倒的に差が生まれる。

 

未来に希望があった方が幸せだと私は思うから。

もっと大人たちは楽しそうに、自分の人生に夢中になって生きるべきだと思う。

そういった人たちが大人たちに増えたら、その次の世代の子たちは、いったいどんな素晴らしい世界をつくってくれるんだろう。

考えただけで鳥肌立つ。

 

 

 

ってことでなんだっけ。

 

どうやったら自分の人生に夢中になれるかを、私は追求していきたい。