ブログ用「心の声に素直になると自分らしく生きられる」

 

自分らしく生きるために必要なことの一つに、

”自分の意見を主張する”ことがある。

 

今回は、自分主張が出来ない人に向けての記事を書こうと思う。

 

 

まず初めに、自分らしく生きるためになぜ自己主張が必要なのかという点については、当たり前だけど自分を表現する為の手段だからに過ぎない。

もっと厳密に言うと、

自分らしさをきちんと表現して、本物の関係性を築くというのが目的になる。

 

 

では何故、自分の気持ちを正直に伝えられないのかと言うと、

それぞれ色んな想いはあれど、

多くの場合、根底には”嫌われることを恐れている”ことが原因にあると思う。

 

私の場合を話すと、

昔から周りのご機嫌取りを無意識にしてしまう癖があって

自分の意見というものを相手に伝える事が出来なかった。

例えば食事のメニューを決めるのも、旅行の行き先を決めるのも、

全て相手に合わせてしまう。

自分は違う方が良いと思っていても、

それを言わずに相手の意見に同調してしまうのだ。

 

何故かというと、

≪相手に同調しておけば人間関係は上手くいく≫

という強い思い込みがあったからだ。

 

その奥には、

・相手と違う意見を言ったら嫌われてしまうのではないか

・私の意見は間違ってるのではないか

・自分が主張することで相手に我慢をさせてしまうのではないか

・相手に我慢させてしまったら嫌われるのではないか

という不安や恐れがあった。

 

つまり、自己主張が出来ない人というのは、

自分の意見を言う = 相手に嫌われるかもしれない

この強烈な思い込みが、今のその課題を作っているのだ。

 

この思い込みができてしまった背景には

幼少期の親子関係が大きく影響している可能性がある。

ただし影響しているだけであって、これからの人生にはもう必要のないこと。

 

相手に合わせることに違和感を感じていて、限界を感じているならば

この思い込みを変えるしか方法はない。

 

よく聞く思い込みの修正方法は、認識を間違うと自分を苦しめかねない。

思い込みを変える最も効果的な方法は、

思い込みを自覚し、目的を改めることだ。

 

初めに書いたように、

相手に嫌われないためのコミュニケーションから

本物の関係を築くためのコミュニケーションへ変換するのだ。

 

そうすると自ずと手段が変わってくるはず。

 

 

では目的を改めたところで、どうすれば良いのかを書いていこうと思う。

 

それには「自己受容」と「自分と相手の問題の線引き」

この二つが必要となってくる。

 

そもそも自己主張が出来ない人というのは、自己受容が足りていない。

自己主張をしているつもりでもコミュニケーションが上手くいかないと言う人は、

問題の線引きが出来ていない。

 

 

”自分さえ我慢すれば上手くいく”

”自己主張をすると嫌われる”

このような想いが原因で自己主張が出来ない人は、

まずは自分の心の声を素直に聞くことから始めよう。

「このことに対して自分はこう感じている」というのをまずは自覚すること。

我慢を重ねてきた人ほど、自分の本音が見えづらくなっているのだ。

伝えることをする前に、自分の本音に気付くことからやってみる。

(これについては一記事書けそうなくらい長くなるからここまで)

 

 

”自分の意見は言ってるつもりだけど相手に分かってもらえない”と思っている人は、

(厳密に言うと、そもそもその主張が本音ではないという問題もあるのだけど)

自己主張をした後の相手の出方まで期待していることが原因だ。

分かりやすく言うと、相手に対して「○○してよ」といったように

一見自己主張しているように見えて、実は相手をコントロールしようとしてしまっていることが問題なのだ。

自分の意見を言った上で相手がどうするかは相手の問題だ。

そこを「○○してくれない」と捉えるのは健全なコミュニケーションではない。

 

自己主張というのは、単純に自分の気持ちだけを伝えることだ。

「私はこれが好き」

「私はこういうことをされると嫌」

「私はこう思う」

「私はこうしたい」といったように。

 

これがお互いに出来て初めて、相手を尊重し合えるコミュニケーションが完成する。

(I think. I feel.のやつ)

 

 

自己主張のステップを纏めると、

自分の心の声に素直に従い、それだけを相手に伝える。

これだけ。

 

 

最後に、上の二つとも出来ていなかった私が体験した話を。

 

ちなみに私は、昔から家族であっても自分の気持ちを正直に話すことをしてこなかった。ほんの些細なことでも。

 

父親と二人で車に乗っていたときの事。

いつものように車内で煙草を吸おうとする父親を見て、

私は心でこう思った。

”あー、臭いの嫌だな。”

いつもの私だったら、この心の声を無視して

父親が車内で煙草を吸うことに対して何の意見も言わずに

ただ臭いのを我慢していた。

 

でも、今回の私は言ってみた。

「私は、煙草の臭いが嫌だ」と。

自分の意見が言えた事に、とても心が軽くなったのを感じた。

この感覚が大切で、結果的に父親が吸ったとしても私は良かったのだと思う。

 

その結果どうなったかというと、

それを聞いた父親は、初めて知ったというような顔をして、

驚いて煙草を箱に戻していた。

その顔に、私は驚いた。

私の中では煙草は臭い、臭いから嫌。というのは当たり前の図式で

父親もそれを分かっていると思っていたのだ。

でも私は生まれて一度もそれについて意見を言ったことはない。

だから父親は、嫌な思いをさせてるなんて思ってもいなかったのだろう。

そのことに初めて気がつき、驚愕した。

自分の中でどんなに当たり前だと思っていることでも、

相手には微塵も伝わっていないのだ。