過去の記憶と、自己受容のプロセス

以前にも書いたが、今の職場に入ってから

今までずっと逃げてきた壁が次々と立ちはだかってくる。

 

先週ずっと苦しかったのは、

ある特定の人にだけ異様に委縮してしまうことだ。

酷いと頭がパニックになって冷静に考えたら有り得ないミスをしてしまうのだ。

その時は”絶対にまた怒られる””絶対にミスする”という恐怖から逃れられずに

自分でも訳が分からなくなってしまう。

もうこの事態は異常だと自分でも思った。

その人が外出した途端に、自分でも驚くほどスムーズに生き生きと仕事が出来るのだ。

 

初めからそうだった訳ではない。

その人に言われた、ある一言がきっかけだった。

お茶を出す順番を間違えてしまった時、

「常識的に考えて分かる。普通は有り得ない。」

と言われたのだ。

その時とてつもなく悲しくなった。

(この言い方を非難したい訳じゃなく、私にとっては存在を否定されるくらい突き刺さる言葉だというだけ。)

 

そしてこの言葉は、過去の嫌な記憶を思い出させた。

前職でも、同じ事を言われた事がある。

「普通に考えて、分からない?」

「普通なら、その判断はしない。」

ただこの時は、普通って何だ?この人は何を基準に普通って言ってるんだ?

くらいにしか思わなかった。

むしろ反発したくなったくらいだ。

でもその人に常にビクビクしながら仕事をしていたのは覚えてる。

 

さらに

「何でこんな事も出来ないの?」

「あんたはどうせ出来ないんだから、あっち行って」

これらの言葉を散々っぱら親から言われ続けてきたのを思い出した。

 

このような言い方をしてくる人達に対して共通してるのは、

常に怒られないかビクビクして顔色を伺ってしまうことだ。

決まって自分らしくいられない。

 

何故、このような事が繰り返し起きるのだろうと半日考えてみたら、

”普通の人が普通に出来ることが出来ない自分”を

自分自身で、猛烈に批判していることに気が付いた。

そして、そんな”普通の事が出来ない自分”を欠けている人間だと思っていたのだ。

 

自分で自分を否定している限り、

私が否定されたと感じる出来事は起こり続けるのだろうと思う。

 

ここで、普通が出来るような自分に努力するのは苦しさを増幅させるだけで、

普通の事が出来ない自分を、自分の一部だと受け入れる事が根本的な解決となる。

そんな自分は自分じゃないと、拒絶すればするほど苦しみは増すのだ。

闇を闇として自分の中に受け入れる。

自分の中の光と同じように、闇も自分の一部だと認めてあげるのだ。

 

 

そして、この繰り返す出来事から私が守りたかったのは、恐らく自尊心だ。

自尊心なんて、心の穴を埋めようとするから、他人に簡単に傷つけられるのだ。

もうあの頃の幼かった女の子ではない。

私は心の穴を、もう誰にも入り込ませないと決めた。

穴があるなら、ポッカリ空いたまま生きていけばいいのだ。

 

まあ、そんな事初めから出来てれば苦労しないんだけどね。

ここで自己受容のプロセスをおさらいする。

 

1)気付き

「ん!?私、今またビクビクしてるかも。」

 

2)気付きを受け止める

「私、またビクビクして委縮して、すごく怖がってるな」

 

3)パターンの関連付けや、掘り下げ思考

過去に存在を否定された気持ちになるくらい傷ついた記憶の中にいるな。

 

4)3)を受け入れる

ここで重要なのは、怒られた原因を、自分のせいにして克服する努力に向かわない事。

(もちろん成長に必要な努力はすべき。そうではなく心の持ち方としての話ね。)

 

 

纏めると、3)で出た答えをそのまま受容する。

”だから自分はダメなんだ”という思考のまま埋める努力をしないこと。

ただ、「あーこう考えてるな。」ここだけを受け入れる。

そして、出来なかった事は出来なかった事として、健全に振り返りをし、最低限の努力はする。

葛藤の意義を見出した、その先。

最近葛藤している事があった。

 

今の職場での無能さ、それに対する毎日の指摘。

出来ない事は出来ないままでいいって言ってくれる環境もある。

でも今の環境ではそれは許されない。

 

そんなに頑張らなくても、幸せになれる道はあるんじゃない?

でも、今ここで頑張りたい。

 

この葛藤の意義は、ワークをせずとも分かる。

逃げの選択肢を持ちながら、目の前のことに全力にならない自分が嫌なのだ。

今までずっとそうやって生きてきた。

人生をつまらなくしているのは、その姿勢だと気付いたんだ。

それを、今変えたいと思った。

だから、頑張るしかないのだ。

悩む理由は、まだどこかで他の選択肢に意識が向いているからだ。

ここで頑張る。

そう決めるだけ。

 

 

もう一つ。

こんなにも望んでいるのにずっと手に入らないもの。

 

今すぐに理想のパートナーが欲しい。

でも、全エネルギーを恋愛に注ぎたいとは思わない。

好きに生きて自然に出会えたらいいな。

 

この二つの葛藤を、今日ようやくワークで向き合った。

 

答えが二つ出てきた。

一つは、目の前の仕事に全力になりたいという本音。

それから、どんな自分でも愛されたいという本音。

 

一つ目は、今すぐにでもやればいい。

二つ目は、それを叶えるためにはどうすべきか、考えた。

 

まずは自分でどんな自分の事も愛する必要がある。

自分で否定している部分があると、そこを否定してくる(否定されたと感じる)現実が必ずやってくるし、だから自分はダメなんだと確認作業の繰り返しになる。

次に、恐れや不安を持ちながら、自分の意見を主張することだ。

私はこう思う。これが嫌だ。

それを相手にきちんと伝える必要がある。

もちろん、表面的に上手くいく関係性が理想ならば、ある程度自分を抑えるという選択肢もありだと思う。

でも、私が望んでいる関係はそうじゃない。

自分の意見をきちんと伝えられる、本音の関係性が築きたいのだ。

多分、私がずっと求めている安心感とは、この不安や恐れを乗り越えた先にあるのだろう。

 

今日一日で、少し頭の整理が出来た。

葛藤していた理由や、自分が本当はどうしたかったか等。

その為に何をすべきか。

 

仕事の面では、

「今ここで頑張る」と決める。

自分は仕事に全力になりたいんだと自覚して、それをやること。

恋愛面では、

どんなに嫌な感情が湧いてきても、自分を肯定し続けること。

 

まずはこの三つかな。

とりあえず、二週間続けてみて、内的変化を見てみよう。

そして現実はどのように変わるか、観察する。

改めて方向性を考える。

 

あぁ、やらなければならない事なんていくらでもあるのに。

昨日まであんなにやる気だったのに。

今何もしたくない。

 

新しい職場で働き始めて3週間が過ぎた。

この症状が定期的にやってくる。

 

その原因は恐らく、自分がどこに向かっていってるのか

一時的に分からなくなってしまうことだ。

 

一時的に、と書いたのはきちんと考えて決められさえすれば

すぐに抜け出せるからだ。

 

ただこの波が頻繁にやってくる。

 

ある時は、目の前のことに追われて、

何でこの会社で働いてるんだっけとなったり。

 

またある時は理想のライフスタイルはあるけど、

それに近づいてる気がしなくて

でも今は今でそれはいいんじゃないかと思うと

そもそも何でそのライフスタイルが良いのだっけとなったり。

 

要は”そもそも”を考え始めると私は悩むのだ。

 

昔からゴールがある程度見えていないと私は不安になる。

だから今見える範囲で決めてしまうのが打開策だ。

 

仕事の方向性に関しては、

大前提として物事の本質を探ることが好き。

その点では営業でもHRでも構わない。

ただ自分のキャリアを積むという点ではHRを学びたい。

営業をやりつつ、HR部門でプロジェクトに関わるのが今の目標。

その為に今やるべきことは

日々の業務をきちんと自分に落とし込むこと。

ビジネスマナーを徹底的に学ぶこと。

会社を理解するためにマーケティングの知識を学び、

自分のやりたい事のためにHRを学ぶこと。

 

ライフスタイルについては、もやっとしてる状態。

時間と場所に縛られずに、好きな時に好きな場所で働きたい。

でも、結婚もしたい。

となると同じような理想を持った人、、、

と、ここまで書いて思ったけど、

相手に合わせて自分を縛っているのは自分自身なんじゃないか。

出来ない理由を探して自分に制限をかけない。

認めたくない自分も受け止める。

この2つかなー?

 

 

話は逸れるけど、

ビジネスマナーが何で私にとってこんなに難しいのかと言うと

正解がないから。

一番の課題である自分の意思で行動することと直結しているから。

怒られないように、ミスしないように、ではなく

相手を想っての行動をいかに出来るか。

邪念に埋もれるとミスをする。

そこが、次に超えるべき壁だ。

 

なんだか、今の職場に入ってから今まで避けてきた課題が

次々とやってくる。しかもハッキリと。

まあ、今に始まったことじゃないんだろう。

今までも何度も目の前に来てたけど、出来なかっただけで

ようやくその準備が整ったのだ。

今が正に向き合うタイミングなんだろうと思う。

 

今までは悩んで自分を守る方向に必死だったけど、

人生に主体的になると覚悟を決めたから、

きっと起こってることなんだろうなあ。

人生に主体性を持たせる

 

憧れている人と自分との圧倒的な違いが最近分かった。

「全てにおいて主体的になれているかどうか」だ。

 

やりたい事があれば、とか

幸せなパートナーシップが築ければ、とか

ある条件を設定して、それがないからつまらないのだと言い訳していた。

 

思い返せば昔からそうだった。

あの子は可愛いから、好きな服を着てもいいんだ

あの子はお金持ちだから、好きなこと出来るんだ

 

他人は、○○があるからOKで

自分は、○○がないからNGとしていた。

 

自分の人生をつまらなくさせていたのは、

何かが無いからではなく、その思考そのものだった。

その事実にようやく気付くことが出来た。

 

○○が無くたって、やってしまえばいいだけの話だったのだ。

 

条件を言い訳に好きなことをしないでいるのは、

条件を満たしていないことを周りや育った環境のせいにできるからね。

楽なんだよね。

 

恥かくかもとか傷つくかもとかそんな恐怖と向き合わずに済む。

ただただ自分の不運を悩んでいればいいだけだもん。

 

弟の件で違和感を隠し切れなかった理由が今ハッキリと分かった。

不満ばかりで主体的にならないと、後悔するのだ。

嫌なことをやっていた事が違和感だったんじゃない。

受け身の人生に違和感を感じていたんだ。

 

全てに対して「自分がこうしたいから、こうする」

この姿勢で生きてみろ。

ブログ用「心の声に素直になると自分らしく生きられる」

 

自分らしく生きるために必要なことの一つに、

”自分の意見を主張する”ことがある。

 

今回は、自分主張が出来ない人に向けての記事を書こうと思う。

 

 

まず初めに、自分らしく生きるためになぜ自己主張が必要なのかという点については、当たり前だけど自分を表現する為の手段だからに過ぎない。

もっと厳密に言うと、

自分らしさをきちんと表現して、本物の関係性を築くというのが目的になる。

 

 

では何故、自分の気持ちを正直に伝えられないのかと言うと、

それぞれ色んな想いはあれど、

多くの場合、根底には”嫌われることを恐れている”ことが原因にあると思う。

 

私の場合を話すと、

昔から周りのご機嫌取りを無意識にしてしまう癖があって

自分の意見というものを相手に伝える事が出来なかった。

例えば食事のメニューを決めるのも、旅行の行き先を決めるのも、

全て相手に合わせてしまう。

自分は違う方が良いと思っていても、

それを言わずに相手の意見に同調してしまうのだ。

 

何故かというと、

≪相手に同調しておけば人間関係は上手くいく≫

という強い思い込みがあったからだ。

 

その奥には、

・相手と違う意見を言ったら嫌われてしまうのではないか

・私の意見は間違ってるのではないか

・自分が主張することで相手に我慢をさせてしまうのではないか

・相手に我慢させてしまったら嫌われるのではないか

という不安や恐れがあった。

 

つまり、自己主張が出来ない人というのは、

自分の意見を言う = 相手に嫌われるかもしれない

この強烈な思い込みが、今のその課題を作っているのだ。

 

この思い込みができてしまった背景には

幼少期の親子関係が大きく影響している可能性がある。

ただし影響しているだけであって、これからの人生にはもう必要のないこと。

 

相手に合わせることに違和感を感じていて、限界を感じているならば

この思い込みを変えるしか方法はない。

 

よく聞く思い込みの修正方法は、認識を間違うと自分を苦しめかねない。

思い込みを変える最も効果的な方法は、

思い込みを自覚し、目的を改めることだ。

 

初めに書いたように、

相手に嫌われないためのコミュニケーションから

本物の関係を築くためのコミュニケーションへ変換するのだ。

 

そうすると自ずと手段が変わってくるはず。

 

 

では目的を改めたところで、どうすれば良いのかを書いていこうと思う。

 

それには「自己受容」と「自分と相手の問題の線引き」

この二つが必要となってくる。

 

そもそも自己主張が出来ない人というのは、自己受容が足りていない。

自己主張をしているつもりでもコミュニケーションが上手くいかないと言う人は、

問題の線引きが出来ていない。

 

 

”自分さえ我慢すれば上手くいく”

”自己主張をすると嫌われる”

このような想いが原因で自己主張が出来ない人は、

まずは自分の心の声を素直に聞くことから始めよう。

「このことに対して自分はこう感じている」というのをまずは自覚すること。

我慢を重ねてきた人ほど、自分の本音が見えづらくなっているのだ。

伝えることをする前に、自分の本音に気付くことからやってみる。

(これについては一記事書けそうなくらい長くなるからここまで)

 

 

”自分の意見は言ってるつもりだけど相手に分かってもらえない”と思っている人は、

(厳密に言うと、そもそもその主張が本音ではないという問題もあるのだけど)

自己主張をした後の相手の出方まで期待していることが原因だ。

分かりやすく言うと、相手に対して「○○してよ」といったように

一見自己主張しているように見えて、実は相手をコントロールしようとしてしまっていることが問題なのだ。

自分の意見を言った上で相手がどうするかは相手の問題だ。

そこを「○○してくれない」と捉えるのは健全なコミュニケーションではない。

 

自己主張というのは、単純に自分の気持ちだけを伝えることだ。

「私はこれが好き」

「私はこういうことをされると嫌」

「私はこう思う」

「私はこうしたい」といったように。

 

これがお互いに出来て初めて、相手を尊重し合えるコミュニケーションが完成する。

(I think. I feel.のやつ)

 

 

自己主張のステップを纏めると、

自分の心の声に素直に従い、それだけを相手に伝える。

これだけ。

 

 

最後に、上の二つとも出来ていなかった私が体験した話を。

 

ちなみに私は、昔から家族であっても自分の気持ちを正直に話すことをしてこなかった。ほんの些細なことでも。

 

父親と二人で車に乗っていたときの事。

いつものように車内で煙草を吸おうとする父親を見て、

私は心でこう思った。

”あー、臭いの嫌だな。”

いつもの私だったら、この心の声を無視して

父親が車内で煙草を吸うことに対して何の意見も言わずに

ただ臭いのを我慢していた。

 

でも、今回の私は言ってみた。

「私は、煙草の臭いが嫌だ」と。

自分の意見が言えた事に、とても心が軽くなったのを感じた。

この感覚が大切で、結果的に父親が吸ったとしても私は良かったのだと思う。

 

その結果どうなったかというと、

それを聞いた父親は、初めて知ったというような顔をして、

驚いて煙草を箱に戻していた。

その顔に、私は驚いた。

私の中では煙草は臭い、臭いから嫌。というのは当たり前の図式で

父親もそれを分かっていると思っていたのだ。

でも私は生まれて一度もそれについて意見を言ったことはない。

だから父親は、嫌な思いをさせてるなんて思ってもいなかったのだろう。

そのことに初めて気がつき、驚愕した。

自分の中でどんなに当たり前だと思っていることでも、

相手には微塵も伝わっていないのだ。

 

仕事をいかに楽しくするか実験

 

私は自分が書きたいことならいくらでも書けるのだけど

このテーマで書けと言われると中々筆が進まないと知った。

おかしいな、いくらでも書けると思ったんだけど。

気付いたのが、頭の中を言葉にするのは簡単だけど

文章でも口頭でも、それを”伝える”という作業になると億劫になるようだ。

 

でも今後私はこの作業が増えていくから、

今のうちに自分のモチベーションを上げる方法を模索しようと思う。

 

まず今試しているのは

与えられたテーマに対してこのブログでいつものように書く。

視点が”伝える”ではなく、”頭の中の言語化”であればいくらでも書けるはずだ。

頭に浮かんだキーワードから考察したり派生したりする方法で。

そこで恐らく一旦私の気持ちとしては満足するはず。

 

そこから今度は

・誰に向けて

・どんなテーマを

・どういった趣旨で

書くのかを整理する。

自己主張をする上で必須となる前提条件

 

ここで私の例を書こうと思う。

自己主張をするとは具体的にどういうことなのかを。

 

私は昔から家族であっても自分の意見を主張することをしてこなかった。

たとえ些細なことでも。

 

前回の記事に書いたように、自己主張をすると決めて

最初にやったことはこうだ。

 

父親と二人で車に乗っていたときの事。

いつものように車内で煙草を吸おうとする父親を見て、

私の心はこう思った。

”あー、臭いの嫌だな。”

いつもの私だったら、この心の声を無視して

父親が車内で煙草を吸うことに対して何の意見も言わずに

ただ臭いのを我慢していた。

 

でも、今回の私は言ってみたのだ。

「私は、煙草の臭いが嫌だ」と。

自分の意見が言えた事に、とても心が軽くなったのを感じた。

この感覚が大切で、結果的に父親が吸ったとしても私は良かったのだと思う。

 

結果どうなったかというと、

それを聞いた父親は、初めて知ったというような顔をして、

驚いて煙草を箱に戻していた。

その顔に、私は驚いた。

私の中では煙草は臭い、臭いから嫌。というのは当たり前の図式で

父親もそれを分かっていると思っていたのだ。

でも私は生まれて一度もそれについて意見を言ったことはない。

だから父親は、嫌な思いをさせてるなんて思ってもいなかったのだろう。

そのことに初めて気がつき、驚愕した。

自分の中で当たり前だと思っていることでも、

こんな些細なことでも伝える事を怠ると全く伝わらないのだ。

 

自己主張をするとは、こういうことだ。

このような積み重ねで、相手を理解し本物の関係を築いていくのだ。

 

ただしここで重要なポイントがある。

それは、「煙草を止めて」という風に相手の行動まで制限しないことだ。

自分はどう感じるか、どう思っているか、それだけを伝えること。

それを受けて相手がどんな行動を取るかは、私の問題ではない。

そこを理解した上で自己主張をしないと、関係性がこじれるだけだ。

 

 

ここまでが私の実体験で、

次に自己主張が出来ない人の心理を考察していこうと思う。

 

 

自己主張をする前に理解しておくべきこと。

それは、この二つだ。

・自分が感じたことを素直に受け入れる。(自己受容)

・自分が感じたことだけを相手に伝える。(自分と相手の問題を線引きする)

 

恐らく、自己主張をしてるつもりでも人間関係が上手くいかなかったり、

自己主張がそもそも出来ないという人は

この二つの内どちらか(もしくは両方)が出来ていない場合が大半なのだと思う。

 

この二つは健全なコミュニケーションを取る上で必要不可欠なものだ。

 

 

両方できていなかった私の場合で話すと、

昔から周りのご機嫌取りを無意識にしてしまう癖があって

自分の意見というものを相手に伝える事が出来なかった。

例えば食事のメニューを決めるのも、旅行の行き先を決めるのも、

全て相手に合わせてしまう。

自分は違う方が良いと思っていても、

それを言わずに相手の意見に同調してしまうのだ。

 

何故かというと、

≪相手に同調しておけば人間関係は上手くいく≫

という強い思い込みがあったからだ。

 

その奥には、

相手と違う意見を言ったら嫌われてしまうのではないか

私の意見は間違ってるのではないか

自分が主張することで相手に我慢をさせてしまうのではないか

相手に我慢させてしまったら嫌われるのではないか

という不安や恐れがあった。

 

 

つまり、自己主張が課題である人は

自分の意見を言う = 相手に嫌われるかもしれない

この強烈な思い込みが、今のその課題を作っているのだ。

 

この思い込みができてしまった背景には

幼少期の親子関係が大きく影響している可能性がある。

ただし、影響しているだけであって、今からの人生にはもう必要のないことだ。

 

相手に合わせることに違和感を感じていて、限界を感じているならば

この思い込みを変えるしか方法はない。

 

世の中に出回っている思い込みの修正というのは、

認識を間違えるとそれ自体が自分を苦しめることになりかねない。

 

思い込みを変える最も効率的な方法は、

思い込みを自覚して、目的を明確にすることだ。

 

人間関係に関する目的を、

相手に嫌われない関係性から

お互いを尊重し合える本物の関係性へ変換するのだ。

 

目的が明確になれば、手段は自ずと分かってくる。

 

お互いを尊重できるようになるには?

本物の関係性って?

ここを考えて、行動に移せばいい話。

 

嫌われないように生きていかなくてはならないのは

自己受容が足りないのだ。

 

相手に我慢させるのが嫌で自己主張できないのは、

自分がコントロールできない範囲まで抱えてしまっていることが原因だ。

 

だからまず、自己主張をする前に前提として

<自己受容>と<自分と相手の問題の線引き>

これが出来るようになることが必要になってくるのだ。