仕事をいかに楽しくするか実験

 

私は自分が書きたいことならいくらでも書けるのだけど

このテーマで書けと言われると中々筆が進まないと知った。

おかしいな、いくらでも書けると思ったんだけど。

気付いたのが、頭の中を言葉にするのは簡単だけど

文章でも口頭でも、それを”伝える”という作業になると億劫になるようだ。

 

でも今後私はこの作業が増えていくから、

今のうちに自分のモチベーションを上げる方法を模索しようと思う。

 

まず今試しているのは

与えられたテーマに対してこのブログでいつものように書く。

視点が”伝える”ではなく、”頭の中の言語化”であればいくらでも書けるはずだ。

頭に浮かんだキーワードから考察したり派生したりする方法で。

そこで恐らく一旦私の気持ちとしては満足するはず。

 

そこから今度は

・誰に向けて

・どんなテーマを

・どういった趣旨で

書くのかを整理する。

自己主張をする上で必須となる前提条件

 

ここで私の例を書こうと思う。

自己主張をするとは具体的にどういうことなのかを。

 

私は昔から家族であっても自分の意見を主張することをしてこなかった。

たとえ些細なことでも。

 

前回の記事に書いたように、自己主張をすると決めて

最初にやったことはこうだ。

 

父親と二人で車に乗っていたときの事。

いつものように車内で煙草を吸おうとする父親を見て、

私の心はこう思った。

”あー、臭いの嫌だな。”

いつもの私だったら、この心の声を無視して

父親が車内で煙草を吸うことに対して何の意見も言わずに

ただ臭いのを我慢していた。

 

でも、今回の私は言ってみたのだ。

「私は、煙草の臭いが嫌だ」と。

自分の意見が言えた事に、とても心が軽くなったのを感じた。

この感覚が大切で、結果的に父親が吸ったとしても私は良かったのだと思う。

 

結果どうなったかというと、

それを聞いた父親は、初めて知ったというような顔をして、

驚いて煙草を箱に戻していた。

その顔に、私は驚いた。

私の中では煙草は臭い、臭いから嫌。というのは当たり前の図式で

父親もそれを分かっていると思っていたのだ。

でも私は生まれて一度もそれについて意見を言ったことはない。

だから父親は、嫌な思いをさせてるなんて思ってもいなかったのだろう。

そのことに初めて気がつき、驚愕した。

自分の中で当たり前だと思っていることでも、

こんな些細なことでも伝える事を怠ると全く伝わらないのだ。

 

自己主張をするとは、こういうことだ。

このような積み重ねで、相手を理解し本物の関係を築いていくのだ。

 

ただしここで重要なポイントがある。

それは、「煙草を止めて」という風に相手の行動まで制限しないことだ。

自分はどう感じるか、どう思っているか、それだけを伝えること。

それを受けて相手がどんな行動を取るかは、私の問題ではない。

そこを理解した上で自己主張をしないと、関係性がこじれるだけだ。

 

 

ここまでが私の実体験で、

次に自己主張が出来ない人の心理を考察していこうと思う。

 

 

自己主張をする前に理解しておくべきこと。

それは、この二つだ。

・自分が感じたことを素直に受け入れる。(自己受容)

・自分が感じたことだけを相手に伝える。(自分と相手の問題を線引きする)

 

恐らく、自己主張をしてるつもりでも人間関係が上手くいかなかったり、

自己主張がそもそも出来ないという人は

この二つの内どちらか(もしくは両方)が出来ていない場合が大半なのだと思う。

 

この二つは健全なコミュニケーションを取る上で必要不可欠なものだ。

 

 

両方できていなかった私の場合で話すと、

昔から周りのご機嫌取りを無意識にしてしまう癖があって

自分の意見というものを相手に伝える事が出来なかった。

例えば食事のメニューを決めるのも、旅行の行き先を決めるのも、

全て相手に合わせてしまう。

自分は違う方が良いと思っていても、

それを言わずに相手の意見に同調してしまうのだ。

 

何故かというと、

≪相手に同調しておけば人間関係は上手くいく≫

という強い思い込みがあったからだ。

 

その奥には、

相手と違う意見を言ったら嫌われてしまうのではないか

私の意見は間違ってるのではないか

自分が主張することで相手に我慢をさせてしまうのではないか

相手に我慢させてしまったら嫌われるのではないか

という不安や恐れがあった。

 

 

つまり、自己主張が課題である人は

自分の意見を言う = 相手に嫌われるかもしれない

この強烈な思い込みが、今のその課題を作っているのだ。

 

この思い込みができてしまった背景には

幼少期の親子関係が大きく影響している可能性がある。

ただし、影響しているだけであって、今からの人生にはもう必要のないことだ。

 

相手に合わせることに違和感を感じていて、限界を感じているならば

この思い込みを変えるしか方法はない。

 

世の中に出回っている思い込みの修正というのは、

認識を間違えるとそれ自体が自分を苦しめることになりかねない。

 

思い込みを変える最も効率的な方法は、

思い込みを自覚して、目的を明確にすることだ。

 

人間関係に関する目的を、

相手に嫌われない関係性から

お互いを尊重し合える本物の関係性へ変換するのだ。

 

目的が明確になれば、手段は自ずと分かってくる。

 

お互いを尊重できるようになるには?

本物の関係性って?

ここを考えて、行動に移せばいい話。

 

嫌われないように生きていかなくてはならないのは

自己受容が足りないのだ。

 

相手に我慢させるのが嫌で自己主張できないのは、

自分がコントロールできない範囲まで抱えてしまっていることが原因だ。

 

だからまず、自己主張をする前に前提として

<自己受容>と<自分と相手の問題の線引き>

これが出来るようになることが必要になってくるのだ。

 

自己主張は本物の関係を築く上で必要なこと

 

最近の私のテーマは、自分の気持ちを主張すること。

少し前からそれが私自身の課題である事には気がついていたのだけど、

何故それが必要で、

それに取り組むことでとうなりたいのか、

これらが完全に腑に落ちた。

 

だからこれからの日々は”自己主張”を意識して過ごしていこうと思う。

 

まずは何で腑に落ちたかという話。

この人のように生きたい!と強く憧れる女性に出会ったからだ。

彼女は、「今ぶっちぎりで幸せ」だと語った。

この言葉がどうしようもなく心に刺さった。

彼女は根っからのポジティブ思考な訳ではなく、

壁にぶつかる度にどん底まで落ち込む事を何度も繰り返したそうだ。

精神的な理由で入院までしたことがあるほど、過去は苦労したそう。

 

ただ、そこで自分を諦めなくて本当に良かったと話した。

周りに嫌われない為に自分を抑え込んでいたら、

”そこそこの幸せ”で留まっていただろうと。

 

どんなに落ち込んでも、自分を生きることだけは諦めなかった。

それは何も難しいことではなく、

「私はこれが好き」

「私はこういうことをされると嫌」

「私はこう思う」

「私はこうしたい」

これをきちんと主張することだけだ。

 

ワガママだと捉える人もいるかもしれない。

でも、伝えない限りは相手に伝わらない。

いくら家族であろうとも。

伝わらないという事は、つまり自分がどういう価値観であるか

相手に理解してもらえないということだ。

何が嫌で何が嬉しいのか、きちんと主張すること。

 

そうすると、自分はこうであるという生き方が、

自分を纏う空気となって人を魅了するのだ。

自分を生きていると、それに惹かれた人たちが周りに自然と集まるようになる。

 

 

自己主張をするということは。

自分とはどういう人間なのかを表に出すことで、

自分の本質に近い人たちとの本物の関係が築けるのだ。

 

 

 

私が本当に望んでいる生き方

 

6月に入ってから10日ほど、デトックス期だったように思う。

 

家族との関係を見直し、自分の本音が明確になったところで

今私が本当に望んでいることがハッキリした。

 

私がやりたかった事は

会社を辞めることでもなく、

家族と距離を置くことでもなく、

結婚することでもなく、

(もちろん表面的にはやりたい事に違いないのだけど)

 

本当に望んでいることは、

自分らしく生きることだ。

 

もっと噛み砕くと、

自分がこうしたいから、これをやる。

(周りがどうだから、怒られないように、が動機ではなく)

自分はこう思う。ときちんと主張する。

(相手にどう思われるか不安だから合わせる。ではなく)

 

自分の意思で選択をし、行動すること。

もちろん本音に沿って。

 

行動の動機が、全て自分。

 

多分これが、自分の人生に責任を持つということなのだ。

 

 

自分らしく生きることについて、

今まで自分が納得する答えが出せなかったのだけど、

これだ。

 

人生に主体性を持つこと。

 

自分の手で人生を選択していくこと。

 

私が望んでる生き方はこれ。

 

 

行動を起こして批判されたところで、止めるんじゃない。

その時に悲しかったら泣いて、それでも前へ進むんだ。

批判があったから、自分が進む道が間違ってるのかと諦めるのではない。

その分、筋肉がつくだけの話。

 

自分が決めた道を自分が信じて、泣きながらでも前へ進む。

 

これが私だと誇りを持てる生き方をする。

もう、今の私は大丈夫。

どんな自分が出てこようとも受け入れる土台は出来ている。

あとは進むだけだ。

盲点だった私の強みと支配欲について

 

思わぬ形で、私の強みが見つかった。

それは、人の表情や声色から感覚的に感情を見抜けること。

 

確かに人よりは敏感だなとは思っていたけど、

自分の中では当たり前のことだったし

(むしろ敏感になりすぎると自分が疲れる場合もあるから、必要ない能力だと思っていた)

わざわざ他人に伝えようともしてこなかった。

と言うか、多少なりとも誰もが出来ることだよね?

 

 

でもある人に、それは感動さえ覚える強みだと言われた。

思い返せば学生時代から

”少しの変化にも敏感に気付いてくれる”と言われてたなぁ。

 

今まで自分の才能や能力について散々考えていたけど、

これについては盲点だった。

だって何の武器にもならなくないか、、?

 

 

そうそう、そこから派生して

何でもかんでも枠にきっちり収めようとするのを

しばらく止めてみようと思い立った。

最近少し、体系化することに執着しすぎていたような気がする。

 

私の武器を教えてくれた人に、

誘導しよう、コントロールしようという意図が伝わるような質問の仕方だと指摘されたのだ。

確かに、人の話を順序良く組み立てないと

因果関係を明確にしないと、気が済まなかった。

ゴールはここだから、こうなるはずだ。

といったように、勝手にストーリーを作ってしまっていたかもしれない。

せっかく話してくれているのに、迷惑な話だ。

 

私なりに過程を重要視していたつもりだったのだけど、

もっとその人自身から出てきた言葉をありのまま受け止めたらどうだろうと

アドバイスをもらった。

 

人と話すときは大抵議事録を作るし笑、

目的に沿って話を展開しなければと思っていた。

何を話すかなんて決め付けないで、

その場を大切にして話題が広がることも楽しんだらいいのではないかと。

 

話題が横に広がり過ぎると、結論が分からなくなることが怖かった。

私の中でその場の目的というのが明確にあって、

それを達成できないことが嫌だったのだ。

これが強くなりすぎると、会話をコントロールしようとしてしまうのかもしれない・・

反省。

 

一旦その恐怖を手放してみて、

純粋にその場を楽しむことをやってみようかな。

その結果、やはり意味がないと思ったらその時にまた考えればいいや。

上手くいかせるには、「自分を整えること」と「バランスを取ること」が大切

 

最近調子がいい。

エネルギーがバランスよく安定している気がする。

と、ふと気付いたんだけど、案外理にかなってる行動をしていると思った。

 

 

ざっくりとステップを書くと、

退職や断捨離、自分の内側と向き合うことで

今の自分の価値観を明確にし、必要のないものを手放した。

そして今の自分が心地良いと感じられるような空間を出来る範囲で作った。

さらに外部との交流を活発にすることで

改めて自分を知る事が出来たり、「エネルギーの循環」を経験した。

最後に、新しい自分で選択してきたことを習慣化させた。

  

 

振り返ってみて重要だなと思ったことは、

「自分を整えること」と「バランスを取ること」この2つ。

 

一番の理由は”人前で話す”という怖いことに挑戦したことなんだけど、

それが出来るようになるまでにもきちんとステップを踏んでいたことに気がついた。 

 

 

 

「自分を整える」とは、

不要なものを手放したり、自分の心の声を聞いたり、”好き”を満たしてあげること。

あと意外と大切なのは、今の自分が面倒くさいやりたくないと思っていても、

それが理想の自分に近づけることであれば積極的にやるべきだということ。

よく”今”の感情を大切にしましょうと言われているけど、

その心の声には、聞くべき声と聞かなくても良い声があるのだ。

未来の自分が喜ぶのなら、今の声はきちんと認めた上で、従わなくても良い。

この”認めた上で”というのが大事。

無視したら消化されないので、一度自分は今こう感じているんだなと認めるステップは必ず必要となってくる。

 

 

バランスを取る」とは、

二面性のある自分を偏りなく使ってあげること。

例えば自分の内側に矢印を向ける時間を取りすぎると、生産性が低くなってしまう。

視点が偏って固執した考えになってしまったり、

考えなくてもいいような所までグルグルと考えを巡らせてしまったり。

逆に外部との接点を増やしすぎると、本当の自分の意見が分からなくなってしまう。

特に私なんかは無意識レベルで相手に合わせる傾向があるため余計に、だ。

だから社交的な自分も内向的な自分も、バランスよく時間を使うことが大切。

これは他の性質についても同じこと。

ちなみに、人の中には複数の二面性がある自分がいると思うけど、

どれか一つでもバランスが取れるようになると自然と他の部分でもバランスが取れてくるということを体験した。

 

 

そして最後に、ある程度新しい自分が出来上がってきたら

それを習慣化させることがとても大切だ。

習慣化させるには、モチベーションを維持できるように工夫すること。

それは人それぞれ違うと思う。

自分がエネルギーが上がることを把握し、その状態を保つよう努力することだ。

それにはもちろん面倒なこともあるだろうけど、

新しい自分になるには今までと同じ選択をしていては結果が出ないのだ。

面倒くさいを超えた先には、今より少し自分を好きになっている自分がいる。

 

エネルギーの循環を体感した。

 

”人前で話すと世界が変わる”

って皆言うし、私も経験したけど、

何でだろう?って思ってた。

 

世界が変わるのは、

使命が見つかったタイミングだと思ってたから。

 

でも、分かった!

 

今まで自分の中だけにあったものを、

世界に出したからだ。

 

「出す」 = 「与える」

 

自分から与えたから、

何らかの形で(人との縁や新しい仕事など)

自分の元に還ってきたんだ。

 

まさに、この三角の図が循環できたんだ。

 

     自分を満たす

    ↑↓        ↓↑

   受け取る  ←→  与える

 

 

すごい。

 

やりたくない事をやめて、

やりたい事をとことん追求して、

それが「自分を満たす」ことに繋がった。

そしてそれを外に出すことで「与える」事が出来た。

結果、何らかの形で自分に還ってきて

それを素直に「受け取る」ことが出来た。

 

 

これが<エネルギーの循環>と言われているもの。

 

おぉ、これを体感できたんだ。素晴らしい。

 

 

ちなみにこれが出来るようになる為には

「自己受容」が必要不可欠だと私は思ってる。

 

「自分を満たす」事については、そのままだけど

自分を満たそうって意識がもう自己受容の一つ。

人の目や世間の常識から離れて

自分の内側に矢印を向ける行為のこと。

 

 

次に「与える」事について。

与えるという行為は色んな形があると思うけど、

もしかしたら失敗するかもしれない。

そんな自分を直視しなければならないかもしれない。

こういった不安も受け止めた上で行動に移せるのは、

どんな自分も受け止められる勇気を持ててるから。

 

 

「受け取る」事についても、

一見難しくないように聞こえるかもしれないけど、

自分が今まで当たり前だと思っていた事を褒められた時

そんなの誰でも出来るじゃん。とか

私なんてまだまだそんな価値ありません。

って謙遜したりとか

受け取り拒否をしてしまったら、

世界が変わった事に気づけないかもしれない。

だから「”素直に”受け取る」という行為は、

自分には受け取る価値があると思えるようになる必要がある。

 

 

これらの理由から、

3つ全ての項目において自己受容は土台となっているのだ。

 

 

自己受容は私も時間がかかったし、まだまだ最中だけど

この循環を体感できた時の感動は、

まさに世界が変わるほど。

 

皆が自分の好きなことで世界に与えられて、

この体験が出来たらいいなぁ。

その輪が広がれば、確実に世界は今と変わると思う。