私が本当に望んでいる生き方

 

6月に入ってから10日ほど、デトックス期だったように思う。

 

家族との関係を見直し、自分の本音が明確になったところで

今私が本当に望んでいることがハッキリした。

 

私がやりたかった事は

会社を辞めることでもなく、

家族と距離を置くことでもなく、

結婚することでもなく、

(もちろん表面的にはやりたい事に違いないのだけど)

 

本当に望んでいることは、

自分らしく生きることだ。

 

もっと噛み砕くと、

自分がこうしたいから、これをやる。

(周りがどうだから、怒られないように、が動機ではなく)

自分はこう思う。ときちんと主張する。

(相手にどう思われるか不安だから合わせる。ではなく)

 

自分の意思で選択をし、行動すること。

もちろん本音に沿って。

 

行動の動機が、全て自分。

 

多分これが、自分の人生に責任を持つということなのだ。

 

 

自分らしく生きることについて、

今まで自分が納得する答えが出せなかったのだけど、

これだ。

 

人生に主体性を持つこと。

 

自分の手で人生を選択していくこと。

 

私が望んでる生き方はこれ。

 

 

行動を起こして批判されたところで、止めるんじゃない。

その時に悲しかったら泣いて、それでも前へ進むんだ。

批判があったから、自分が進む道が間違ってるのかと諦めるのではない。

その分、筋肉がつくだけの話。

 

自分が決めた道を自分が信じて、泣きながらでも前へ進む。

 

これが私だと誇りを持てる生き方をする。

もう、今の私は大丈夫。

どんな自分が出てこようとも受け入れる土台は出来ている。

あとは進むだけだ。

盲点だった私の強みと支配欲について

 

思わぬ形で、私の強みが見つかった。

それは、人の表情や声色から感覚的に感情を見抜けること。

 

確かに人よりは敏感だなとは思っていたけど、

自分の中では当たり前のことだったし

(むしろ敏感になりすぎると自分が疲れる場合もあるから、必要ない能力だと思っていた)

わざわざ他人に伝えようともしてこなかった。

と言うか、多少なりとも誰もが出来ることだよね?

 

 

でもある人に、それは感動さえ覚える強みだと言われた。

思い返せば学生時代から

”少しの変化にも敏感に気付いてくれる”と言われてたなぁ。

 

今まで自分の才能や能力について散々考えていたけど、

これについては盲点だった。

だって何の武器にもならなくないか、、?

 

 

そうそう、そこから派生して

何でもかんでも枠にきっちり収めようとするのを

しばらく止めてみようと思い立った。

最近少し、体系化することに執着しすぎていたような気がする。

 

私の武器を教えてくれた人に、

誘導しよう、コントロールしようという意図が伝わるような質問の仕方だと指摘されたのだ。

確かに、人の話を順序良く組み立てないと

因果関係を明確にしないと、気が済まなかった。

ゴールはここだから、こうなるはずだ。

といったように、勝手にストーリーを作ってしまっていたかもしれない。

せっかく話してくれているのに、迷惑な話だ。

 

私なりに過程を重要視していたつもりだったのだけど、

もっとその人自身から出てきた言葉をありのまま受け止めたらどうだろうと

アドバイスをもらった。

 

人と話すときは大抵議事録を作るし笑、

目的に沿って話を展開しなければと思っていた。

何を話すかなんて決め付けないで、

その場を大切にして話題が広がることも楽しんだらいいのではないかと。

 

話題が横に広がり過ぎると、結論が分からなくなることが怖かった。

私の中でその場の目的というのが明確にあって、

それを達成できないことが嫌だったのだ。

これが強くなりすぎると、会話をコントロールしようとしてしまうのかもしれない・・

反省。

 

一旦その恐怖を手放してみて、

純粋にその場を楽しむことをやってみようかな。

その結果、やはり意味がないと思ったらその時にまた考えればいいや。

上手くいかせるには、「自分を整えること」と「バランスを取ること」が大切

 

最近調子がいい。

エネルギーがバランスよく安定している気がする。

と、ふと気付いたんだけど、案外理にかなってる行動をしていると思った。

 

 

ざっくりとステップを書くと、

退職や断捨離、自分の内側と向き合うことで

今の自分の価値観を明確にし、必要のないものを手放した。

そして今の自分が心地良いと感じられるような空間を出来る範囲で作った。

さらに外部との交流を活発にすることで

改めて自分を知る事が出来たり、「エネルギーの循環」を経験した。

最後に、新しい自分で選択してきたことを習慣化させた。

  

 

振り返ってみて重要だなと思ったことは、

「自分を整えること」と「バランスを取ること」この2つ。

 

一番の理由は”人前で話す”という怖いことに挑戦したことなんだけど、

それが出来るようになるまでにもきちんとステップを踏んでいたことに気がついた。 

 

 

 

「自分を整える」とは、

不要なものを手放したり、自分の心の声を聞いたり、”好き”を満たしてあげること。

あと意外と大切なのは、今の自分が面倒くさいやりたくないと思っていても、

それが理想の自分に近づけることであれば積極的にやるべきだということ。

よく”今”の感情を大切にしましょうと言われているけど、

その心の声には、聞くべき声と聞かなくても良い声があるのだ。

未来の自分が喜ぶのなら、今の声はきちんと認めた上で、従わなくても良い。

この”認めた上で”というのが大事。

無視したら消化されないので、一度自分は今こう感じているんだなと認めるステップは必ず必要となってくる。

 

 

バランスを取る」とは、

二面性のある自分を偏りなく使ってあげること。

例えば自分の内側に矢印を向ける時間を取りすぎると、生産性が低くなってしまう。

視点が偏って固執した考えになってしまったり、

考えなくてもいいような所までグルグルと考えを巡らせてしまったり。

逆に外部との接点を増やしすぎると、本当の自分の意見が分からなくなってしまう。

特に私なんかは無意識レベルで相手に合わせる傾向があるため余計に、だ。

だから社交的な自分も内向的な自分も、バランスよく時間を使うことが大切。

これは他の性質についても同じこと。

ちなみに、人の中には複数の二面性がある自分がいると思うけど、

どれか一つでもバランスが取れるようになると自然と他の部分でもバランスが取れてくるということを体験した。

 

 

そして最後に、ある程度新しい自分が出来上がってきたら

それを習慣化させることがとても大切だ。

習慣化させるには、モチベーションを維持できるように工夫すること。

それは人それぞれ違うと思う。

自分がエネルギーが上がることを把握し、その状態を保つよう努力することだ。

それにはもちろん面倒なこともあるだろうけど、

新しい自分になるには今までと同じ選択をしていては結果が出ないのだ。

面倒くさいを超えた先には、今より少し自分を好きになっている自分がいる。

 

エネルギーの循環を体感した。

 

”人前で話すと世界が変わる”

って皆言うし、私も経験したけど、

何でだろう?って思ってた。

 

世界が変わるのは、

使命が見つかったタイミングだと思ってたから。

 

でも、分かった!

 

今まで自分の中だけにあったものを、

世界に出したからだ。

 

「出す」 = 「与える」

 

自分から与えたから、

何らかの形で(人との縁や新しい仕事など)

自分の元に還ってきたんだ。

 

まさに、この三角の図が循環できたんだ。

 

     自分を満たす

    ↑↓        ↓↑

   受け取る  ←→  与える

 

 

すごい。

 

やりたくない事をやめて、

やりたい事をとことん追求して、

それが「自分を満たす」ことに繋がった。

そしてそれを外に出すことで「与える」事が出来た。

結果、何らかの形で自分に還ってきて

それを素直に「受け取る」ことが出来た。

 

 

これが<エネルギーの循環>と言われているもの。

 

おぉ、これを体感できたんだ。素晴らしい。

 

 

ちなみにこれが出来るようになる為には

「自己受容」が必要不可欠だと私は思ってる。

 

「自分を満たす」事については、そのままだけど

自分を満たそうって意識がもう自己受容の一つ。

人の目や世間の常識から離れて

自分の内側に矢印を向ける行為のこと。

 

 

次に「与える」事について。

与えるという行為は色んな形があると思うけど、

もしかしたら失敗するかもしれない。

そんな自分を直視しなければならないかもしれない。

こういった不安も受け止めた上で行動に移せるのは、

どんな自分も受け止められる勇気を持ててるから。

 

 

「受け取る」事についても、

一見難しくないように聞こえるかもしれないけど、

自分が今まで当たり前だと思っていた事を褒められた時

そんなの誰でも出来るじゃん。とか

私なんてまだまだそんな価値ありません。

って謙遜したりとか

受け取り拒否をしてしまったら、

世界が変わった事に気づけないかもしれない。

だから「”素直に”受け取る」という行為は、

自分には受け取る価値があると思えるようになる必要がある。

 

 

これらの理由から、

3つ全ての項目において自己受容は土台となっているのだ。

 

 

自己受容は私も時間がかかったし、まだまだ最中だけど

この循環を体感できた時の感動は、

まさに世界が変わるほど。

 

皆が自分の好きなことで世界に与えられて、

この体験が出来たらいいなぁ。

その輪が広がれば、確実に世界は今と変わると思う。

 

 

メモ)本質と使命と能力の話

 

人生のビジョンが先か

手段が先か

 

もっと言うと、人生のビジョンが見つかれば手段は何でもOKなのか。

手段を見つけてしまえば人生のビジョンなんていらないのか

 

 

どっちが良い?って考えてたんだけど

分かった、同じだった。

 

人生のビジョンを使命と言い換えたら分かりやすいかもしれない。

 

 

 

使命を全うできるなら手段は限定しなくても幸せだし、

 

逆に後者のように手段が限定されていた場合でも、その手段を使った先に出来上がるものは、一見手段が限定されていないように感じるものなのかもしれない。

 

 

 

例えば、

 

「皆が毎日笑顔で暮らせる世界を創ること」が人生のビジョンだとした場合、

 

 

自らエンターテイナーになる手段もあるし、

テーマパークみたいに皆が楽しめる場を作る手段もあるし、

はたまた教育の世界に入って、笑顔になれる方法みたいな授業を作っちゃってもいいし、

 

 

こんな風に手段はどれを選択しても、人生のビジョンに繋がってるわけ。

 

 

 

 

一方で、

「自分は絵で生きていく」って先に手段を見つけてしまった場所、

 

 

自分で絵を描いてその絵を提供することで人を喜ばせたりも出来るし、

絵を教えることで絵を描く喜びを知る人を増やしてもいいし、

絵を使った、なんか斬新なプロジェクトを創ってもいいよね。(あ、そう正にプロジェクションマッピングとか)

 

 

 

だから人生のビジョンを見つけるのでもいいし、職人のようにこれだ!って思えるもの(手段)を探すのも、たぶん同じこと。

 

でもやっぱりどちらにも共通して根本にあるのは本質だよね。

 

だからその本質を知って、それに沿った生き方をすれば、人生のビジョンも手段も必死になって見つけようとしなくても幸せだよって話。

 

 

 

まあでも、ゴールを設定(人生のビジョン)した方が行動しやすいし、ツール(手段)があった方が人には伝わりやすいし(つまり集客しやすい)、結局は全部分かってたら楽なんだよなーー。

 

 

自分の本質があって、それに沿った結果出来上がる世界が人生のビジョンで、それを叶えるために途中で使う道具が分かってて、(手段でもスキルでもいいけど)

 

 

これらが一本の道で繋がってたら、すごい分かりやすくない?後はもう楽しむだけじゃん!私みたいにこんな面倒な考え方する人なんて多くないと思うし、そしたら皆その答えだけ知ってあとは楽しい世界を作ればいい話じゃん。

それを見つけるのが人生なんだよ、と言う人もいるかもしれないけど、見つかった後に実際にその世界で生きられる方が絶対に楽しいと思う。

答えが見つかったって結局人は悩むんだし、だったら先にその世界いった方がいいと私は思う。

 

それに、見つけるのが人生だと言ってるから今の世界がこうなってるんだよ。

毎日憂鬱な顔して通勤して、ため息つきながら仕事して、帰って疲れたって家族との時間もろくに取らずに。(極端な例だけど)

 

そんな背中を見て育った子供と、

すでに自分の世界を生きてる背中を見て育った子供は、

 

世界に対してや、働くことに対しての考え方に圧倒的に差が生まれる。

 

未来に希望があった方が幸せだと私は思うから。

もっと大人たちは楽しそうに、自分の人生に夢中になって生きるべきだと思う。

そういった人たちが大人たちに増えたら、その次の世代の子たちは、いったいどんな素晴らしい世界をつくってくれるんだろう。

考えただけで鳥肌立つ。

 

 

 

ってことでなんだっけ。

 

どうやったら自分の人生に夢中になれるかを、私は追求していきたい。

恐怖心を払拭する方法

 

「怖い」って気持ちは未知にものに対して湧くもの(らしい)だから、

恐怖心を払拭するには、実際にやってみる事でしか解決しない。

 

やってみて、やっぱり恐れていた通りの結果になったら

その事実を受け入れる。落ち込むと思う。

でも、「怖い」という気持ちからは一歩先に進んでいる自分がいるはず。

そして、じゃあどうすればいいか?を考えてまた実行すればいい。

こうすれば失敗したことにはならないと思う。

 

その事実を受け止められずに、何かと言い訳をして自分を守る方向に動いちゃうと、

次に挑戦する時はもっと強い恐怖心になってしまう恐れがある。

 

怖いからって殻に閉じこもらずに、

事実を受け止める強さを持とう。

そして失敗した自分に落ち込むのではなく、挑戦できた自分を褒めてあげよう。

そうすれば、また挑戦してみようって勇気も自然と持てるようになるよ。

自分の常識を疑ってみる

 

自分の好き嫌いと

世の中の好き嫌いは違う。

 

自分が嫌いだからと言って知ろうとしないと、

その分野においてそれ以上の成長はない。

嫌いでも、まずは知ろうとしてみる。

一度自分フィルタを外して世の中フィルタで見てみる。

その上でやっぱり嫌いなのであれば、以後選択しなければいい。

 

自分の常識から外れてみる勇気を持たないと視野は広がらない。

自分が創り上げた枠の中だけで生きていると、いつも同じ選択になり

結果今まで通りの自分から変われない。

思い込みを外してみれば、今まで見えていなかったもの(本来そこにあるのに)に気付くことができる。

 

そもそも世界は自分が思っているよりも、もっともっと無限に大きい。

それなのに、自分の固定観念や常識で枠組みを作ってそこから出ようとしないなんて、自分がちっぽけである事にすら気付けない。

 

自分の常識を疑って、小さな事でもいいから違う選択をしてみる。

そこから視野が広がって、選択肢が増えて、新しい自分の出来上がり。

ちなみに、「これは絶対にだめっしょ!」って思ってるものこそ、やってみると効果があるよん。